Web2.0病

僕はWeb2.0っていう言葉は嫌いじゃないんだけど,今日はその言葉のデメリットの方を感じた。


僕の家は割と早い段階だったんだと思うけど,昔はインターネットに繋がる環境を家に持っていたのは一部の人だけで,使っている人と使っていない人のインターネットへの関心の温度差は激しかったように思う。


インターネットの便利さや楽しさが一般にもそれなりに伝播した頃から,「今日お前んちにインターネットしに行っていい?」なんて聞く友達も出始めた。確か2000年ごろくらいだったと思う。「まだ家にはないけど,インターネットを使いたい」って人が多くなってきた。


それから時が流れて,みんながインターネットに繋げる環境を家庭に持つようになった。今まで一部の人が楽しんでいたインターネットを,みんなで楽しむようになった。前は僕の家にインターネットを使いに来てた友達に,「あとでURLメールで送っておくわ。」なんて会話ができるようになった。


そして携帯電話向けのサイトも増えて,メールや着メロのダウンロード以外にできることが増えてきて,みんな知ってか知らずの内か,日常的にインターネットを利用するようになった。


長い目でインターネットを見たときに,その様相をフェーズで区切って捉えて,「今のインターネットってこんな感じだよね」っていうときの意味の”Web2.0”が僕は好き。一部の人が利用したインターネットが,みんなが使うインターネットになったこと,みんなが使うようになったこと,純粋にそれが素晴らしいことのように思えて,心が沸く。


さて,そこで今日感じたWeb2.0のデメリットについて。実は今,ちょっとしたサービスについて考えているんだけど,そのサービスについて考察したときに,「ダメなんじゃないか」っていうモヤモヤが頭の上を渦巻くのだ。自分でダメだって思っちゃうから,「こんなのどうかな?」って人にも相談できない感じ。でも,「面白そうだな」とは実は思ってる。じゃあ,何がダメなのか?


はっと思った。「あぁ,これはWeb2.0的じゃない」って,潜在意識が邪魔をしているんだと。


Web2.0って言葉を軸に色々な言葉が唱えられた。「ネットワーク外部性」とか,「CGM」とか,「UGM/UGC」とか,「ソーシャル〜」とか「コミュニティ」とか「フリー経済」とか,今はあんまり思いつかないけど,何とかかんとか・・って。僕は自分の考えるサービスがこれらの側面から説明できないと,ダメなんじゃないかってついつい思っていたみたい。


それに気づいてから,もう少し自分の考えるサービスに自信を持つようにした。


僕の好きなWeb2.0でいくと,「自分の作ったものが本当に良いものなら,みんな使ってくれる。一昔前と違って,今はインターネットの先にたくさんのユーザがいる。」って感じになるだろうか。面白いか・面白くないか,便利か・便利じゃないか,みんなで楽しめるか・楽しめないか,人に使ってもらうのに十分な動機を持っていれば,サービスの根本的なコンセプトとしては良いと思う。


みんなに使ってもらえるような,サービスを考えよう!って意気込みすぎて,今時のサービス=Web2.0的っていう思考になって,一人で不安になっていたみたい。


Web2.0”は企業側からの視点で語られて,意味を成す言葉が多いのかな。


「このサービスは「ネットワーク外部性」が働くから,ユーザのサービス離れを起こしにくく,技術革新や類似サービスの出現にも耐性があってリスク軽減だよね。」
「それってUGCなサービスじゃないんだ。ダメダメ。コストがかかるよ。」


みたいな。こういう側面ばかりからWeb2.0という概念が扱われるのは嫌だけど,利益主眼の考え方になるのは,企業体は利益を追求していかないとダメな存在だから,仕方ないのかなって思う。”Web2.0”は,「利益を上げつつ,有益である」,企業がそんなサービスを考えるためのフレームワークにはなっていると思う。


けれど,個人で面白いサービスを考えようっていうときに,Web2.0という概念と,それを取り巻く難しい言葉を,サービス考案のフレームワークにすると,面白いサービスが考えられないと思った。